「オンリーワンの極意」について・・・
WEBマガジン 『オンリーワンの極意』 マーケティングの使い方
●運営 ㈲なにわ創信舎
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●編集責任者 原テルキ
●編集スタッフ 松田歩巳

尊敬するマネージメントの神様 なにわ創信舎 代表
P.Dドラッカー 原 テルキ
『オンリーワンの極意』が出来るまで・・・
マーケティングとは?
弊社は、大阪のマーケティング・プロデュース会社です。
マーケティング・・・と云うと何やら小難しく考える方が多いのですが、弊社では
「売れる」仕組みと仕掛け・・・と定義付けています。
どんな会社(商売・事業)でも、何かを売らなければ成り立ちません。
しかし意外に、その「売れる」事に集中している所が少ないのです。真面目に・・・
いい商品を用意して、営業(販売)すれば、それで売れるものと勘違いされている経営者やマネージャーの方が多いのです。
そんなに簡単では無いはずです。特に、こんな時代に・・・
「売れない」悲しさ・・・
私は、そもそもデザイン学校を出てデザイナーを目指して社会に出て、
小さな繊維商社系のアパレル会社で企画に就き、
ウエアをつくる仕事から始めました、社員20人ほどの小さな会社でした。
そこで思い知らされたのは、「売れない」事の辛さです。
商品が売れないと、営業社員にボロクソに云われる、得意先からも嫌味を云われる。
もちろん社長からも注意をされる・・・
「売れるモノを作れ!」と・・・
それ以降、とにかく「売れる」事を意識してモノつくりをして来た、
企画するモノも寝具やスポーツ衣料にも拡がっていった
その後、カジュアルアパレルに転職してからも、ブランドを任されると余計に
「売れる」喜びと「売れない」悲しさとの狭間の中での格闘の毎日でした・・・
「売れる」の、お手伝いへ
勤めていたカジュアルアパレルが、トップの判断ミスで、その「売れない」状態が長く続く事になった。
急拡大を狙ったギャンブルに出たのが裏目に出たのです。
それで・・・早い話・・・経営の危機です。実際倒産ギリギリまで行きました。(某商社の支援で助かった)
正に「売れない」悲しさを社員とは言え、身を持って体験しました。
何となく洋服を作りそれを販売する、当時は年2回のサイクルでした。
そのサイクルに埋もれていた自分の仕事感に、疑問が出ていた時期でもあり、生来の~~~
会社を辞め、何となくフリーになってしまいました、今で言うフリーターです。
アパレルの企画の外注なんかで食つないでいた時、仕事関係の方からある仕事の紹介を受けました。
大手広告代理店の契約スタッフの仕事です。
国家プロジェクトでファッションの大きなイベントがあり、そのプロジェクトスタッフです。
イベントの内容は大型のトレードショー(展示会)とファッションショー、その準備から実施までの
1年半の大仕事です。
ファッションの仕事しか知らないので、プロモーションの仕事は不安もありましたが、
興味本位で飛び込んだ訳です。
マーケティングとの出会い
仕事はイベントの準備ですが、なにせ広告代理店。協賛営業からキャンペーン展開の仕立てまで、
色んな仕事があるのです。
わからない事だらけ、しかし「わかりまません」とは云えない・・・
フリーの立場のスタッフなので、そんな甘い事は云えない!
何とかその場を取り繕って、調べて勉強して、次に備えるのです。必死でしたこの時は・・・
さすが大手の代理店、その頃でも花形企業でしたので、社員は優秀な奴ばかり、
そこで、アホ面で「わかりません」「出来ません」なんか言うものなら、
一発で「ダメ」の烙印を押される訳です。実際同じ立場の人間ですぐに契約アウト!
なんて人も居ました。
とにかく1回は、取り繕っても次回は、ちゃんと対応出来る様に、なってなければ成らない。
この経験が後々自分を育てた様な気がします。
また、ここで社内プロデューサーのN氏から、プロデューサーとしての仕事感を教えて頂きました。
今でも、私が師と仰ぐ方です。
この広告代理店の現場でプロモーション・・・マーケティングの世界に入って行った訳です。
バブル崩壊、大震災、そして無謀な独立
代理店勤務の後、ファッションの大型卸売り施設プロジェクト実施会社への引きがあり、
再びサラリーマンに・・・
世は正にバブル絶頂期です。
そこでマーケティング担当となり、テナントリーシング・集客・テナントのビジネスサポート・
レンタルスペースの運営と、殆どのマーケティング業務を実施。
金も使いました、オープニング関連のプロモーションに2億・・・そりゃ使いました。
でも、バブル崩壊・・・
大型不動産プロジェクトの行く末は皆さんにもご想像出来るでしょう。
テナントは少しずつ抜けていき、業績は悪化。
そこに追い討ちで阪神大震災・・・おそらく実質親企業であった某銀行も、ここで諦めたのだと思います。
※その後、この施設は神戸市に無償譲渡されます。
ちなみに、あの大震災で私自身が住んでいたマンションも全壊・・・
なぜか再建組合の理事長になり4年間ボランティアで
再建業務を行なう事にもなってしまいました。
※マンションは何とか再建!
会社では地震後、私がゼロから企画した、復興イベント「神戸メッセ」を実施出来た事が勲章です。
それを花道に会社を辞める事にしました。
明らかに会社の方針も変わり、また自分自身の生き方を問われる経験をさせて頂いた事もあり。
自分自身で何かをやろうと、退職。
特に事業の方向が固まらないのに独立してしまったのです。
迷走の始まりです。
・昔とった杵柄で、ファッションの企画
・若手デザイナーの展示会の運営
・洋服の販売
・デザイナーのエージェント業務
・イベントの企画・運営
・バラエティ雑貨の卸・販売
・携帯サイトの企画・編集
・ショッピングサイトのテナント営業
・マーケティング企画
etc. etc
どれもまともには稼げませんでした、
どれもが商売の難しさを教えてくれるモノでした。
こういう仕事もしました、デザイナーを売り込みに行った先の会社で、
そのデザイナーの契約と一緒に、その会社の株式公開の準備です。
その会社では取締役にもなりました。
会計や財務は専門外でしたが、すぐに会計・財務業務を会得して、
数億のエクイティファイナンスをベンチャーキャピタルから投資を実現、あまり申込みが多すぎて一部断った位です。
かつての経験が活かされた訳です。
ただ、苦労だけは、イヤと云うほど経験させて頂きました。
病気・会社解散・再度立ち上げ。
いつ、何が原因かわかりませんが、ある日パニック障害の症状が出ました。
根本は、鬱病です。
仕事のしんどさ、地震の経験、マンション再建の苦労・・・
何か判りませんが気がついたら精神が壊れてました。
色々悩んでお金のある内にと、会社を解散、
リセットする意味で、色んな方に協力を得て、今の会社を設立を計画・・・
しかし、その頃病気は最悪な状態になります。
何も出来ない、不安でしょうがない、生きてる事がイヤになる
・・・そう死のう!毎日考えてました。
「死ぬ」やる気すら無かったので、何とか死なずにすみましたが、
その後症状は身体に表れます。身体中に違和感が出てくるのです。
痺れや、重ダルさ、頭の中に何か入っているような感じ・・・
とにかく違和感だらけ・・・
主治医が遂に見かねて、入院措置です。
マーケティング/マネージメントの神と出会う!
県立尼崎病院精神科病棟・・・
充分「どん底」
しかし、ここが大きな転換でした。
そう「神」と出合ったのです。
・・・神と言っても頭が狂った訳(狂ってるか!)でもスピリチャルな話でもありません。
病院では仕事の事は考えるな!と言われてましたが、
入院後1週間で散歩程度の外出許可がおりたので、近くにあった書店で買った
P.F.ドラッカー氏著作の「創造する経営者」の本です。
1週間もすると症状はかなり緩和し、気分も良くなってたので、何となく題名で買った本ですが、
正に神に出合った衝撃でした!
これまで自分自身がやって来た仕事や経験、知識やノウハウを
再度掘り下げ、行くべき道が見えて来た・・・何年も悶々としていた気分が晴れた気分です。
そこには、マネージメントとマーケティングが見事に定義され、意味付けされ、体系化されていました。
やるべき事が見えてきました。
やはりマーケティングを極めよう!
商売・事業の為の、本当のマーケティングテクノロジーを自分自身で創り、
それを売ろう!それを商売にしよう!でした。
退院後、新会社の活動をすぐ始めした、
調子は完全では無かったですが、顧客の開発からサービス内容の整理。
その様々な営業・販売・集客・商品・販促=マーケティングの現場から
「オンリーワンの極意」のメソッド・・・プログラムが生れました。
事業の目的は顧客の創造
事業の機能はマーケティングとイノベーション
ページトップのドラッガーの言葉がすべての原点です。
このサイトは、私にとって神であるドラッガーの教えを、
私なりに実践の商売・事業の為に落とし込んだ内容を発信する事が目標です。
お互いを高めあいましょう!
マーケティングプロデューサー
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